節約ニートの山暮らし

読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

節約ニートの山暮らし

節約ニートの山暮らしを目指しているブログ

価値観相互不干渉が今のところ真理だと思っているのですが皆さんはどう思いますか。

このエントリーをはてなブックマークに追加←記事を後で読む

人にはそれぞれ様々な価値観が有り、時には受け入れられないと思う時もあります。

それを交流を通してお互いに理解し合う努力をするのではなく、そもそも価値観の合わない人とは関わらないというスタンスで生活したほうが物事はスムーズに進むのではないかという説について書いていこうと思います。

 

 

仕事ができない?それは自分と価値観が違うだけだ

事の始まりは、私が仕事を新人に教えているときのことです。

あの頃の私は未熟でした。

自分も相手も同じような価値観を持っていると勘違いしていました。

自分と他人の区別が付いていなかったとも言えます。

私は教えられてできるようになった仕事はわざわざ指示されずともやるか、確認を取った上で自らの意志で進めていました。

新人は自己判断で仕事を進められる状態に整えられても自分から動いたり判断することはありませんでした。

私は、いちいち細かく指示を出さないと動かない新人を見てダメな人間だと思いました。

しかしその考えは間違っていました。

彼がある時「なんで言われた通りにやっているのに文句を言われるんだ。」と愚痴を言っていたそうです。

それを聞いた時に分かりました。

ただ価値観が違うだけだと。

人によって趣味だって違うし面白いと思うポイントも違う。

物を覚える手順だって違う。

例えば人の名前をそのまま覚える人もいれば、文字に直して覚える人だっている。

一見大体同じ姿のように見える人間でも頭の中の動き方、思考のプロセスは全く違うのかもしれない。

それを確かめる方法がない以上、私は自分の思っていた数倍は他人と自分は違うと思わなければいけないと思いました。

私はただ偶然、自分の判断で仕事をしたくなるような脳みそを持っていただけ。

彼は彼なりの正義感で動いていました。

 

私は彼がダメだと思っていました。

それは間違いです。

ただ自分と違うだけです。

私は自分が正義だと錯覚して彼を教育しました。

しかし教育という概念自体が間違っていて、その行為は相手の価値観を自分の価値観にすり寄せるだけのものです。

そこには進歩も進化もありません。良化も悪化もありません。

変化しか無いのです。

私は仕事をスムーズに遂行させるためには、チュパカブラの生態を研究するような気持ちで他人と接して最善策を探らねばならないと思いました。

正義も悪も良いも悪いもない、あるのは他人と自分の違いだけだ

そんな経緯があり、私は他人と自分の違いというものを大きく意識するようになりました。

世の中では、それぞれの環境での多数派の価値観が正義と言われるだけで、根本的には正義も悪も良いも悪いもないと思うようになりました。

他人に対して支配や教育といった行為をすることは無意味で非生産的だと思ったので、協力とお願いで他人と交流するようになりました。

しかし他人はお構いなしに支配や教育というスタンスで私に接してきます。

何を言われようとも「ああ、あなたはそういう考えなんですね。私は違いますが。」としか思えず、相手にとっても私にとってもこの交流は無意味で辛いものです。

だから価値観が違う人間とは不干渉が一番いい関係だと思うようになりました。

仕事は不干渉関係になれないのがつらいところ

価値観が合う人とだけ交流すればいい。合わない人間に対して価値観を変えさせようと努力するのではなく、なるべく関わらないようにする。

支配しないしされない。

そんな価値観相互不干渉の思想が芽生えた私ですが仕事中はそうは行きません。

仕事をしている以上合わない人と長い時間協力し合わなければなりません。

仕事を辞めるなど環境を変えなければ価値観相互不干渉は達成できません。

悩みのほとんどは人間関係とも言われているようですが、価値観相互不干渉は誰もが憧れてしかもほとんどの人がたどり着けないただの理想なのかもしれません。

 

じつはこの記事に結論はありません。

私の中でこの考えは何となく不完全で発展途上な気がしています。

他人とのより良い関係の持ち方。

皆さんはどうしているのでしょうか。