楽しい方の茶番

持続可能型無職体制の構築

価値観に優劣は無いと思えば自然と気楽に過ごせる(宇宙=茶番)

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価値観には違いがあるが優劣はないという考えが自分の中でしっくり来たので文章にして紹介します。

小さな数字に惹かれる

数年前の話です。

私は仕事のちょっとした走り書き用に、印刷済みコピー用紙の裏紙を使っています。

当時新しく変わった上司がそれを見て「ちゃんとしたメモ用紙を使いなさい」と言いました。

しかし私にはその言葉の意味が分かりませんでした。

裏紙はすぐに手に入り、すぐに処分でき、コストもゼロ円で、私にとっては合理性の究極体だったのです。

対してメモ帳は、すぐには手に入らない、気に入らなくても使い切らないといけない、有料、という不合理の塊なのです。

 

人には価値観の違いというものがあります。

 

コピー用紙の裏紙一つでも人によって見方が変わります。

見た目が悪いから良くないと感じる人もいますが、私は究極の機能美を感じ惚れ惚れしています。

私は典型的な小さい数字に惹かれる人間です。

だからはぴらき氏に惹かれるのです。

hapilaki.hateblo.jp

価値観に優劣はない

私は製造業の仕事をしています。

上司とかいわゆる上の人達は「○億円の設備を導入した」とかそういう自慢話をよくします。

しかし私にはその話が不快に感じます。

なぜなら私は小さい数字に惹かれる人間だからです。

(○億円で購入して、自慢げに凄さを社内でPRした後は全く使ってない設備とかあります)。

 

私は限られた設備で、最善の仕事をすることに非常に快感を覚えます。

大きな数字に惹かれる人は私の仕事の仕方を自己満足と見ますが、私の方から見たら私以外の人たちの働き方が自己満足に見えます。

最近新たに○○の理由で○億円の設備を導入するという話を聞きました。

私はそれを聞いて直感的に「あ〜また茶番が始まったな。」と感じてしまいました。

導入に関わっている人は必死でしょうが、価値観が違う人によって物事の見方と評価は変わってしまうものです。

 

もう一度書きますが、人にはそれぞれ価値観の違いがあるということです。

 

人は自分に近い価値観の人間を優秀な人間だと思い、価値観の違う人間を馬鹿だと思います。

ただ、それはあくまで勝手にそう思うだけで価値観に優劣はありません。

とある場所で自分が評価されていたとしても、環境が変われば評価は変わるものです。

結局のところ自分の価値観が多数派になれば優秀と呼ばれる、それだけです。

 

人材教育が大事だと豪語し、積極的に行動している人がいました。

私はその人がめっちゃ嫌いでした。

その人の言う人材教育とは結局のところ自分と違う価値観の人をけなして若い人を自分の価値観に染めるというものでした。

価値観の違いを価値観の優劣と勘違いしているのです。

自分以外の価値観の人を見て単に「自分と違う人がいる」と感じず「自分より劣っている人がいる」と感じるその人自身に教育が必要だと私は思います。

人材育成なんて無い 適材適所こそ真理

私は人材教育なんてものは無いと思っています。

私は人材の適材適所がもっとも重要だと感じています。

組織(多数派)の価値観に合わせる為に人の価値観を曲げようとすることは物凄く無駄なコストが発生しますし、結果的に失敗すると思います。

人の価値観は変わるものではありませんし、変えたとしてもその人の能力を発揮することは出来ません。

具体的な例ですが、私は人を大きく2種類に分けています。

上から考える人下から考える人です。

上から考える人は、仕事のゴールを設定すればゴールへの道中は自分で考えて行動する人です。

下から考える人は、仕事を細かく分けて作業化をし、マニュアル的に教えないと生産行動をとれない人です。仕事のゴールを設定しても自分の考えでゴールにたどり着けません。

一見下から考える人はアホに見えるかも知れませんがそうではありません。

上から考える人多品種少量生産に向いていますが、ルールを厳密に守るのは苦手で、大量生産には向きません。

また上から考える人は価値観が違いすぎて下から考える人に仕事を教えることが出来ません。

下から考える人は細かいところでつまづいて仕事を失敗してしまうこともありますが、逆にそういうところのおかげでマニュアル作りやルール作りに適性がありますし、下から考える人下から考える人に仕事を教えるのが得意です。

上から考える人の作ったマニュアルは穴だらけで下から考える人には通用しません。

私は会社で長いこと働いてきましたが、

上から考えるーダーは下から考える人を駄目だとみなし教育して失敗する。

下から考えるリーダーは上から考える人を駄目だとみなし教育して失敗するという光景をずっと見てきました。

人材教育(価値観、思考法の矯正)に成功した例を見たことがありません。(見たことがある人は体験談を教えてください)。

結果、私は人材教育ではなく適材適所が重要だと感じるようになりました。

 

 

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koidekonbu.hateblo.jp

適材適所を重視するという考え方をしていたら、他人にイライラしなくなった。

今までは仕事で意見が合わなかったりするとき、相手に対してイライラしていました。

しかし適材適所を重視するということを考えていたら、

「この人の言っていることはよく分からんし納得できん、しかし逆に俺には出来ない領域の仕事を分担してくれてるんだな。」

というように考えられるようになり、人を今までよりは暖かな目で見られるようになりました。(あくまで前よりはね)

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世の中には楽しい茶番と楽しくない茶番の2種類しかないことに気がつく

価値観に優劣はないということは、自分が主観的に見て大切だと思っているこだわりは、社会的客観的に見れば何の価値もないということに気が付きます。

 

野球とサッカーのどちらが素晴らしいか議論するようなものです。

個人個人での結論はあると思いますが、それは単なる好みで客観的な正解はありません。

 

絶対的な価値などありません。

全ては主観です。

私はこの宇宙のすべて(物質精神思想信条)を「茶番」というジャンルに収められることに気が付きました。

そして人生は、より楽しい茶番を演じることだと定義しました。

 

あらゆるものは茶番ですので、こだわるという状態は存在しません。

こだわるとはすなわちそれを楽しんでいるということです。

楽しくないと感じたときに手放せば良いのです。

 

落ち込んだりイライラしたりするだけの価値のあるものはこの世に存在せず、自分の価値観も単なる茶番だということを知り、なおかつ人生はしょうもない茶番を楽しい茶番にしようとするだけで良いと思いました。

 

本当に重要なものなんて、この世にありません。

自分も他人も尊重するべきではないと感じました。

だれだって、生きていたって死んでいたって茶番なのです。

 

自由に動かせる心と体を持って茶番というフィールドに入れたことは幸運だ。

踊る阿呆に見る阿呆 同じ阿呆なら 踊らにゃ損々

演じることが大事だ。

とらわれず、こだわらず、楽しい茶番の収穫作業を始めよう。