楽しい方の茶番

持続可能型無職体制の構築

行動したり、相談したりするとき、どういう結果を望むのか曖昧な時があるような気がする

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例えば何かを相談するにしても、相談して自分は何を得たいのか、というゴール設定が曖昧な時がある気がする。

多分色々考えすぎて頭を使うのが面倒になった時そういう事が起きると思う。

 

貴族が「良きに計らえ」と言っているのと変わらない。

女の子が「何食べたい?」と言っているのと変わらない。

 

自分が何をしたいのか自分で分からないのに、結果的にいい気分になる方法を、他人に委ねる。

それでいい結果になる確率は低いと思う。

だから自分がいい気分になる方法は自分で考えなければならない。

でも、面倒くさいんだよな、それは。

面倒くさいし疲れるから、なるべくやりたくない。

だから目線を自分の外に向ける。

金持ちならこう、結婚したらこう、政権交代したらこうなる。

明確なビジョンがあって、その手段としてそれらを望むのなら良いけど、多分考えるのが疲れるからそれっぽい事にとりあえず目を向けているだけなことが多いと思う。

それっぽいことを追求して、自分を見失えば人は自殺する。

やっぱり頭を使わないとダメだ。

何事においても。

考えるのをやめてはダメだ。

「自分はどうしたいのか?」という問いですら結構難しいんではないだろうか。

正直自分はどうしたいのかっていうのはよく分からない。

とりあえずやってみたい事はあるけど、目的は何となくいい気分になる事。

自分がどうすれば何となくいい気分になるか分からないから、やりたい事をしたからといって望む結果が得られるか分からない。

ダメかも知れないから次も考えないとな、って心休まっていない状態かな。

ある意味、考えることを止めてないから良いのかもしれない。

 

自分には何となくいい気分になりたいというゴールがある。

それに至るルートは無尽蔵にある。

今まで会社に勤めていたから、そのアドバンテージを活かした、何となくいい気分になる方法を探していた。

でも見つからなかったから、会社を辞めることにした。

しかしその先でいい気分になれるかは分からない。

 

会社内でも色々考えて来たが、退職後は更に色々考えなければならないだろう。

聞くところによると、会社から離れて、毎月お金が入って来ない状況にならないと見えて来ないものがあるらしい。

 

会社というのは、何も考えずに生活しても一般的に言われる幸せをある程度は与えてくれる夢の船のようだ。

会社というのは「良きに計らえ」で指示に従う忠実なしもべのようなものかもしれない。

 

その船から降りる以上、思考を止めることは許されない。

自分がどうしたいのか曖昧、などというぬるい姿勢では生きていけない。

意識を更新し続けなければならない。

待っていたって、自分を幸せにしてくれる白馬に乗ったお姫様は現れない。

 

常に考える。

ゴールと目的と手段。

 

(自分を導いてくれる白馬に乗ったお姫様を募集しています)。